小坪「神社」巡り
小坪「神社」巡り
小坪総鎮守の天照大神宮を皮切りに、一段、一段、石段を踏みしめて、丘の麓から10ほどの神社をお詣り

  天照大神社、小坂天王社、諏訪神社、八幡宮、子の神社、
  一の宮社、神明神社、住吉神社、白鬚社、八大龍王社、須賀神社・地蔵堂

小坪漁港周辺には神社も多い。

それは、かつて全国津々浦々から小坪へ移住してきた漁師たちがそれぞれに集落を作り、それぞれに一社一寺を祀ったからである(→About Kotsubo「小坪は鎌倉の南境だった」)。その後明治39(1906)年に一村一社と定める「神仏合祀」の勅令が出されると、小坪村では、天照大神を祀る伊勢山大神宮を総鎮守とすることになった。

ならば。小坪の神社巡りは、総鎮守・伊勢山大神宮に詣り、ご挨拶をしてからからスタートすのがよかろう。

さあ、出発! だが、その前に、神社名をいまいちど確認しておこう。
……天照大神社、小坂天王社、諏訪神社、八幡宮、子の神社、一の宮社、神明神社、住吉神社、白鬚社、八大龍王社、須賀神社・地蔵堂。
……ふうむ。11社ある。

天照大神社(伊勢山大神宮、小坪神明宮)・小坂天王社[伊勢町]

天照大神社
天照大神社
天照大神社
左:麓からて天照大神社へ至る道。175段くらいある 右:入口付近に車を駐めて披露山上から詣る道
小坪の総鎮守。天照大神を祀る。

室町初期、足利二代将軍・義詮のころから祀られていたと伝わる(『相模国風土記』に、「神明宮、村の鎮守なり。(円覚寺)黄梅院蔵康安2(1362)年の文書に、小坪神明神畑壱枚と見ゆ」とあることからわかる)。明治6(1873)年、村社に列格され、小坪村の正式な鎮守と定められた。一村一社の勅令後は、総鎮守となる。大正12(1923)年の関東大震災の際全壊したが、昭和11(1936)年に再建され、盛大な遷宮式が行われた。再建にあたっては、氏子500戸が3年の間「毎日1銭貯金」を続けて再建の費用の一部を用意したそうだ。

神社横の案内板に書かれた「祈祷」に、「家内安全」や「無病息災」に加えて、「海上安全」や「大漁満足」とあるのが、いかにも漁師の町・小坪らしい。

天照大神社へ詣るには、「大崎公園」のところにも書いたが、小坪市場の一本先の細い道(だらだら坂)を道なりに上がっていけばよい。小坂天神社の祠、大井戸、八幡宮(こちらは入口ではなく宮の背後である)と通り過ぎ、わずか数分で天照大神宮の石段下に出る。およそ、200段。175段

毎朝お参りに来るという地元のある方は、体がつらい時は車で披露山へ上がって「石段をパスさせていただく」のだそうだ。毎日拝みに来るのだから、それくらいは勘弁していただいてもよいのかもしれない。途中に絶景ポイントもあるし、石段コースも、なかなか楽しいのだけれど。

小坂天王社は、鎌倉時代の御家人・小坂太郎光頼を祀っている。小坂の屋敷があったとされる場所で(『吾妻鏡』『新編相模風土記稿』)、周辺は、御家人の屋敷の並ぶ小坪の中心だった。小坪浜から、小坂邸(大井戸)前を通り披露大塚に抜ける道が往時のメインストリートだっそうだ。だが、いまは、天王社の社殿も鳥居もすでになく、小さな祠が建つのみとなっている。
  天照大神社 逗子市小坪4-20-1(605番地)/小坂天王社 逗子市小坪4-8付近

天照大神宮から住宅街を経てから坂道を下っていけば、諏訪神社も、八幡宮も、すぐそばで楽ちんだけれど、丘の麓から一歩一歩石段を踏みしめて登るコースをあえて取ろうと思う。苦労して登ったほうが、なんとなくご利益もありそうな…。
以下、漁港奥の佛乗院上の諏訪神社から西へ順に。

諏訪神社 [南町]

諏訪神社
諏訪神社
諏訪神社
諏訪神社左:井戸が見えたら右へ。もうすぐだ 右:5月。神社近くの躑躅がきれいに咲いていた

佛乗院手前の石段ひたすら登る。途中左手に、真っ赤な稲荷大明神の幟、続けて鳥居がある。諏訪社は、もとは、このあたりにあったそうだが、いまは「元宮」として小さな社殿が建つのみで、本体は、「震災で破損したので披露大塚下」に移された(『鷺の浦風土記』)。100段ほど登りきったところにあるのが、 カフェシエスタ。ちょっと、絶景を眺めながら一休みしたいところだが……。

さあ、ここからは、なんと説明したものか。とまれ、細い路を路なりに進む。この時は、「下らない」「他人様の門戸に出くわしたら引き返す」をルールに進めば、諏訪神社に辿りつけるはず。ハイキングや散歩は、この迷路感がたまらないと心得よ。

楽ちん、あるいは不信心(?)ルートを行くのであれば、披露山からティーサロン・パパゲーノ横の階段を降り、最初の岐れ路を左へ。すぐに、諏訪神社にたどり着く。
信州の諏訪大社(主祭神:建御名方神)を勧請したのだろうが、創立年や縁起は不詳。
境内コンクリート造の祠に安置された双体道祖神があった。明治42(1909)年(『神奈川県の道祖神調査報告書』)。
  逗子市小坪4-19付近

道祖神と双体道祖神

道祖神は、塞の神(さえのかみ)、道陸神(どうろくじん)とも呼ばれる。

『日本史広辞典』をひくと、「塞の神」で項がたてられていた。

「【塞の神】悪霊の侵入を防ぐため、道の辻や村の堺などに祭られる境の神。「さえのかみ」の「さえ」は、境をさえぎるの意」。

道祖神の信仰は全国に及ぶが、一組の人像を並列させた「双体道祖神」は、中部や関東に多い(山間部に多く平野・海浜部では少ない)。三浦半島では珍しいといわれる「双体道祖神」が、小坪では、広くはない海沿いの地域には、7基もある。

西から順に、諏訪社、八幡宮、子の神社、一の宮社、そして、神明宮(階段右に3基)。

なぜだろう。小坪に移住してきた人の多くが、道祖神を祀ることの少ない地域に住む海の民であったのに。

八幡宮[伊勢町]

八幡宮
八幡宮
しっかりとした石造り。このため震災の倒壊を免れたものか

応神天皇と阿弥陀如来像を祀る。

覆屋で守られた本段が建つ。関東大震災でも倒壊しなかった。裏には、日照りでも涸れないといわれた大井戸がある。この井戸は、御家人・小坂太郎光頼邸の敷地内にあり、殿の井(とんのい)と呼ばれていた。鎌倉時代の小坪の中心地である。

漁港前からこの神社へ行く場合は、魚市場を過ぎて3本目の道を入ればよい。大井戸からも近いが、裏から入る形になってしまう。ここは、やはり、正面から詣りたい。本殿に向かって左の石祠の中に双体道祖神あり。お姿がはっきり見える。
  逗子市小坪4-9-14付近  

子の神社(ねのじんじゃ)[中里町]

子の神社
子の神社
子の神社
子の神社。向かって左が漁港前の信号。信号反対側の公園で、夏ともなれば子供たちのお太鼓練習が始まる

木像の大国主命(おおくにぬしのみこと 漁の神)を祀る。参道石段右側に双体道祖神も祀られている。

康安年間(1931~32年)の文書に「小坪根の神神田壱段」とあり、その頃の創建だろうか。

小坪漁港信号前の交差点の角に緑に包まれて建っている。小坪漁港方向を目指せば、見落としようもない。平地なので参拝するにも石段のぼりの苦行もない。いわば絶好のロケーション。

しかし、もとからそこにあったわけではない。以前は小坪集落のはずれだった天王山下にあったものを、明治20(1887)年ころ、小坪天王社(須賀神社)の隣へ、明治40(1907)年の火災で焼失した時は材木座乱橋の旧社をもらい受けて再建した後、さらに道路拡張に伴って現在地に移されていたのだった。

何度もお引越しさせてすみません。

でも、その結果、小坪の中心に位置することになって皆に親しまれているのだから、お赦しいただければと思う。夏祭りが近づくと、子供たちが練習するお囃子の音も聞こえてくる。小坪の夏の風物詩のひとつかと。

ところで、大国主命は大黒天と同一視され、その使いはねずみだから、「子の神社」。ねずみは子沢山だから、「子授け」「子育て」の御利益もあるのだろう。
  逗子市小坪5-6付近

一の宮社[伊勢町] 

一の宮社
一の宮社
一の宮社

大国主命を祀る。
創立年・縁起は不詳。参照した本のなかで、一の宮社についてはあまり多くのことが記されていない。『鷺の浦風土記』では、「伊勢町の氏子持ち」ということと、『新相模風土記』から、「一ノ宮権現社、江戸浅草寺一之権現ヲ勧請ス 疱瘡神社……」と引用したあと「疱瘡神については興味ある記述だが年寄りの言い伝えも残っていない」と続けるのみだし、また、『わたくしのたちの小坪風土記』では、「伊勢町には一ノ宮権現者社がある。立派な石の鳥居と本殿のある神社」と2行にも満たない記述で、なんとも、そっけない。
現在も、他の神社ほど知られていないようなのだ。どこにあるのか知らない人も多く、小坪神社巡りでも謎の一社といえるかもしれない。
どこか謎めいた一の宮社だが、そこへは長い石段登りもなく、あっさりとたどり着ける。
漁港前の信号を背にバス通りを逗子方向へ戻ると表通りの裏へ入る続く道がある。周辺の住民しか通らないような細い路で遠慮気味に回り込んでいくと、民家の間にひっそりと建っていた。だが、社名がどこにも見当たらない。以前、バス通りを歩いていて民家の間に見え隠れしていたのに気づいたとき、これが一の宮社ではないかと見当を付けていた。だが、通りすがりの方々に名前を聞いても「知らない」という。少し、寂しい気持ちになった。
忘れ去られたようなこの神社だが、三浦半島には珍しい双体道祖神があり、貴重な神社の一つであることを心にとめておきたい。祠の中に安置されていて間近に見られないのは、かえすがえすも残念だ。「一ノ宮境内 双体像(剥落)」(『神奈川県の道祖神調査報告書』)なのだそうだ。
  逗子市小坪4-3-9付近

神明社、神明宮 [西町]

神明社
神明社
神明社
神明社
神明社

創立年や縁起は不詳。

中世は住吉城郭内の平場で、見張り場の役目を担っていたと言われる。社殿裏の山道が本丸へと続いていた。前方は、同じく見張り場だった伊勢山の大神宮(今も土塁の跡が見られる)で、高みにある両社は、連絡を取り合うのに好都合な位置にあった。

社殿の中に、江戸時代の小坪文化を示す、弁慶や武将の雄姿や漁をする絵、相撲の絵馬などが飾られている。

石段右手に3基の双体道祖神。境内には、稲荷社や2組の狛犬も。

神明宮へ行くには、小坪港前の信号を背に飯島公園方向へ歩くこと数分、「寿司・活魚料理 久平」(「めしやっちゃん」手前)の看板の手前を右に折れて路地階段を登っていけばよい。角に神明宮と彫られた石柱がたっているので迷うことはない。途中左手に隠れ宿の雰囲気を持ったデザイナーズ・ホテル「逗子海岸・凛花」、さらに登れば、丘の中腹で、神明宮が待ち受けている。

神明宮に向かって左の細道を抜ければ、さらに山へと登る避難路入口、降って右方向へと進めば、正覚寺前に至る。
  逗子市小坪5-8-29付近

住吉神社 

住吉神社
住吉神社
住吉神社
住吉神社
左:通行できる現代の住吉隧道 右:住吉神社背後の歴史的隧道(通り抜けられない)

飯島の鎮守神。
底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)を祀る。
住吉の神は、航海の安全や漁業を生業とする人を守る海の神だが、御神体は鶴岡の末社に移し、現在は、白幣を神体として本地佛聖観音を安置している(『鷺の浦風土記』)。
(円覚寺)黄梅院蔵康安2(1362)年の文書に、「住吉神田壱段並畠壱枚」と記され、当時すでに創立されていたことが分かる。
住吉神社へ行くには、小坪飯島公園のプールの奥の階段を正覚寺まで登る。さらにそその裏の苔むした石段を登ってゆけば、ひっそりと、小さな社殿と社殿右方の石祠が佇む。このあたりは、もと三浦氏の山城・住吉城の一角だった。その証拠に、祠の裏手には、住吉城本丸か家臣の屋敷があったとされる「ぼんばたけ」に通じていた隧道の入り口がぽっかりとあいている。今では「ぼんばたけ」にマンションが建ち、出口側は塞がれてしまっているけれど。
  逗子市小坪5-12付近

白鬚社

白鬚社
白鬚社
白鬚社の向こうに椰子の並木と白亜の逗子マリーナが見える。新旧対照の妙

竹内宿禰、猿田彦大神を祀る。
飯島の先端の岩の上にある小さな石祠。目の前が和賀江島。明治時代には、海に面した森の中だったそうだ。
飯島公園の背後左手、海を左手に階段を上がり、細い路をたどってすぐ。少し先には、鎌倉十井(じっせい)の一、強弓で名高い鎮西八郎為朝の伝説が伝わる「六角の井戸」となる。
逗子市小坪5-13付近

八大龍王社、龍宮社

龍宮社
龍宮社
龍宮社
龍宮社 上左:大崎先端の崖上に「八大龍王社」と刻まれた岩が建つ 上左:現在の「八大龍王社」。漁港右手 下:潮が引けば岬の先端まで歩いて行ける。最初に建てられたのはこのあたりの西浜

龍神様(海の神様)を祀る。社の隣に祀られているのは亀大神。亀は、竜宮の使いとされ、漁師は海亀を信仰していたそうだ。浜に海亀がやってくると、酒を飲ませ海へとお帰ししたという。

もとは、西の磯の海中にあったのを、明治30(1897)年に大崎の先端に祠を作って移し、さらに、昭和42(1967)年、小坪港が新しくなった時に(小坪湾埋立工事)現在地の漁港横へと移転した。大崎の先端には、いまは「八大龍王社」と刻まれた岩が建つのみだが、引き潮の時には崖伝いに歩いて行ってみるのも面白い。強風の時はご用心。岬の先端はかなりの吹き曝しとなるからだ。正月二日の龍宮祭では、かつては、船を並べて化粧を施し、龍宮に参拝した後湾内を三周、海辺に向かってみかんを投げたそうだ。長く続いたこの行事も、いまは、みかん投げが残るのみとなったが、これまた小坪の住民の楽しみである。みかんに交じって菓子もふるまわれるが、これはお子様用。大人が横取りしたら叱られます。
  逗子市小坪5-20付近

「祭」時記 睦月2日 みかん投げ
毎年1月2日の午前、大龍王神社まえのふ頭に接岸した漁船から、船主たちが正月祝いにみかんを投げる。ずらりと並ぶカラフルな大漁旗もみもの。

みかん投げ

須賀神社(小坪天王社、牛頭天王社)・地蔵堂[中里町]

須賀神社
須賀神社
須賀神社
手前に地蔵堂、向こうが須賀神社。「小坪」バスに隣接している

天照大神社の境外末社。須佐男命(すさのおのみこと)牛頭(ごず)天王を祀る。
 
毎年7月〇日には、小坪最大の祭り・天王祭が行われる。
宵宮と本祭り。旧町の浜の4基と東谷戸・西谷戸を加えた6基の山車が町内を練り歩く。本祭りでは、朝の八時ごろ神社に鎮座している神輿を担ぎ出し、順次各町内に神様をお迎えしたあと、天王浜へ。6町が順番に天王唄を奏で、唄に合せて神輿を担ぐ。
5月ころになると町内のあちこちに、子供たちに参加を呼び掛ける「お太鼓練習の案内」が貼りだされ、町内は少しずつ祭りに向かって動き出す。
祭りの一週間後に「納め」が行われ、いよいよ、小坪も夏本番となる。

神輿渡御、神幸:千年の伝承を持つ、33年に一度神婚祭。小坪の天王さまは男神。葉山一色の森山神社の女神・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)に会いに、神輿を担がれて行き(渡御)、7日間(明治以降は3日間)お泊まりになって帰って来られる(還御)。昔は、船にお乗せして、お渡りしたという。前回は、平成8(1996)年9月14日~16日。

天王社の隣に地蔵堂がある。お地蔵さまは、高さ身の丈7尺(2メートルほど)の御影石造り。真鶴の石工によって造られたとも、漁師の網にかかって引き上げられたとも伝わる。子育て地蔵。
  須賀神社6-6-7付近/地蔵堂 逗子市小坪6-6

参照:『鷺の浦風土記』(石井清司著・昭和54年)『逗子道の辺百史話』(三浦澄子編・昭和61年)『わたくしのたちの小坪風土記』(小坪地区青少年健全育成推進会・平成5年3月)『小坪須賀神社 葉山森山神社 三十三年大祭記念誌』(三十三年大祭編集委員会・平成9年)

「祭」時記 天王祭
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山車揃い
西町神輿
「天王唄」

目出た目出たの若松様よ ハーヨーイ
 枝も栄える葉も繁る ヤンデヤンデ
谷戸を今朝出て四町内を廻る ハーヨーイ
 四町内の氏子が出て拝む ヤンデヤンデ
(略)
ここのおかどを曲がろじゃないか ハーヨーイ
 小坂天王が門に立つ ヤンデヤンデ
(略)