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小坪は鎌倉の南境だった

鶴岡八幡宮の長い石段を登り切って振り返れば、若宮大路が由比ヶ浜に向かって一直線に伸びる鎌倉の中心街を一望できます。この景観を見た人なら、鶴岡八幡宮は鎌倉の北端で、若宮大路が相模湾に出会う滑川交差点が南端と思うのも無理はあ

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将軍たちを愉しませた小坪海岸

鎌倉の地に武家政権を樹立した源頼朝は、文治五年(1189年)に奥州藤原氏を滅ぼして日本国内の対抗勢力を一掃します。翌建久元年(1190年)には伊豆に配流されて以降初めて上洛し、後白河法皇をはじめとした朝廷重鎮たちと相次い

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飯島邸襲撃と鐙摺城、そして小坪邸再び

頼朝が小坪に愛妾を囲った同じ年の十月、無事に若君(後の二代将軍頼家)を出産して御所へ戻ってきた政子に、頼朝の浮気が密告され事は急転直下の展開を見せます。密告したのは政子の父時政の後妻牧御方です。政子にとっては継母に当たる

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亀前と小中太の小坪邸

鎌倉幕府の公式歴史書である吾妻鏡にも小坪坂の合戦についての記述はありますが、三浦党が頼朝の敗戦を知って「~思いがけぬことと急ぎ帰った。その途中の由井浦で、畠山次郎重忠と数刻にわたって戦った。」(吉川弘文館「現代語訳 吾妻

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小坪坂の合戦

小坪という地名が日本史に登場するのは源平合戦が始まった平安末期、治承四年(1180年)のことです。 この年の八月十七日(旧暦、以下同)に源頼朝が配流されていた伊豆国北条で平家打倒を目指して挙兵しました。平家物語「早馬」の

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